見たくなる素顔の作り方   

鏡を見てガッカリする日々とはおさらばしよう~ママでも金欠でも忙しくても諦めたくないmeiが本から学ぶ、美容研究室~

公園にいったら、恐ろしい老後が見えた気がしたからちょっと考えてみた

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公園で出会った寂しいおばあさん

公園で次男と遊んでいたら、おばあさんに話しかけられた。
こうやって話しかけられるのって子連れ公園あるあるだと思うけど、今日のおばあさんはなかなか話の長い人だった。
旦那さんが亡くなって、家にいても話す人がいないから、よく公園にきて、出会った人に話しかけているらしい。
私が適当な相づちをしているにもかかわらず、ずっと話していた。
家にずっといるのが嫌い、活動するのが好きだから公園にくる、旦那が先に亡くなったら話し相手がいなくなった、女性同士の集まりは悪口ばかりで行きたくない、若い人と話す方が楽しいから公園にくる、そんなかんじのことをずっと話していた。
私はこういうかんじで話しかけられるのが得意ではない。

ひどいかもしれないが、心のなかでどこか行ってくれないかなと思ってしまう。
だって、私は子供と公園にリフレッシュするために遊びにきているだけで、たまたま出会った人の暇潰しの相手になりにきたわけではない。

おばあちゃん話してる間、息子、固まっちゃってるし。遊べないし。


私が心の中でそんな風に思っているとはつゆ知らず、誰もいないことの多い公園で、たまたま出会えた人間に、今日初めての会話だと嬉しそうに話してきた。
でも、面倒だなと思いながら話を聞いていて、ふと思った。
40年後50年後の私は、同じようになってしまっていないだろうかと。

 

人生の最後とは寂しいものなのか

私はコミュニティが苦手だ。
女性がたくさん集まると、ろくなことがないと思っているからだ。
だから、幼稚園のママ友付き合いは、挨拶程度や軽い会話だけで深入りはしないし、公園でのママ友なんてもってのほかだ。
家族と少しの友人がいれば充分だと思い、あまり人付き合いは必要としていない。
そんな私が、子供が自立して、さらに夫に先立たれたら、年老いてから急に訪れた孤独に耐えられず、おばあさんと同じく話し相手がいない寂しさゆえに、ついつい公園で出会った若者に、相手が歓迎していない会話をし続けてしまう、そんな寂しい老人になってしまうのではないかと思って恐ろしく思った。

 

夫は食や健康への意識が低いから、私が長生きする確率のほうが高いだろう。
子供は息子2人だから、いくら今「お母さんがいないと生きていけない」と言ってくれていても、あと何年もしたら、私は彼らの人生に邪魔な存在になるだろう。

 

「女のほうが長く生きちゃうからね。」
そのおばあさんの言葉が急に頭のなかに響いた。
(適当に相づちをうちながらも、結構聞いていた。笑)

 

おばあさんがやっと去ったあと、考えてみた。
寂しい老後にならないためにはどうしたら良いのかと。
実はそのおばあさんに話しかけられるのは初めてだったが、前からよく見かけていた。
ベンチに座って1人で鼻歌を歌っているのだ。
ゼルダの冒険 時のオカリナにでてくる、牧場でエポナの歌をずっと歌いつづけているマロンのように。(ゲームです)
変な人いるなーと思ってた。
というか、ちょっとやばそうな人かなと思って、近づかないようにしていた。

でも、話してみたかんじ、近所に1人はいそうな世間話したら逃げられない系の話好きおばあさんって感じで、ただ公園にくるだけなのに、誰かに会う予定もないのに、しっかりとおしゃれをしていたから、別に変な人ってわけではなかったのだなと感じた。
そして、背筋も伸びていて、足どりも、滑舌もしっかりしていて、きっと今まで健康に気を使ってきたんだろうなという風に感じた。

変な人だから孤独だということではなさそうだ。そう思ったら、なんだかさらに老後が不安になった。

そもそも、なぜ彼女は1人で公園で時間を潰す生活を選んだのだろう。

公園で赤の他人に話しかけられるコミュニケーション能力があるのなら、近所にお友達でもいそうなものだけど。
女同士は悪口になるから嫌だって言ってたから、そこからはリタイアしたのかな。

 

じゃあ、働いたり、ボランティアをしたら良いのでは?
「子育て中でも働きたくても預け先が無くて働けなかった」みたいなことを言っていた気がするから、もしかしてそもそも自分が今更この年で社会に出て働くという選択肢がないのかもしれない。

 

じゃあ、何か習い事をするのはどうだろう?
習い事をするにも、費用がかかるから、一人暮らしの老後の不安からそんなところにお金をかけたくないのかもしれない。

 

じゃあ、家族は?ひ孫までいるっていっていたけど?
子供の人生の邪魔はしたくないのかもしれない。

そう考えていると、選択肢がなくなって、ただただ寂しい人生だけが残ってしまった。

 

 

 

私がいまからできることはあるだろうか

すごく失礼かも知れないけれど、同じ風にはなりたくないなと思った。
では、どうしたらよいのだろう。

日本は海外と比べると、成人後の親との関係がドライらしい。

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日本は女性なら母親と連絡を取り合う頻度は高い気がするが、男性でちょくちょく母親とlineしていようものなら、彼女や妻からマザコン扱いをうけてしまう。
でも、海外だと女性だろうが男性だろうが、親を大切にするのは当たり前で、定期的に親と連絡をとったり、食事をとったりするのは当たり前、むしろ自分の両親を大切にするのの何が悪いの?という雰囲気だと聞いたことがある。

もちろん、私自身は自分の息子たちに何かを期待してはいけないと思っているし、きっと日本に住んでいたら、私も息子たちとドライな関係になってしまう可能性がある。
それはしょうがない。
未来はわからないし、今から心配する意味がない。
だけど、まず私は自分の両親や、夫の両親が孤独な老人になってしまわないようにしてあげないといけないと思った。
私の両親や夫の両親がパートナーを失ったときに、面倒だと思っても話し相手になってあげたり、気遣ってあげたり、そのくらいしかしてあげられないけど、そういう形で親孝行ができればいいなと思う。口では大丈夫だって言ったとしても、絶対に寂しいはずだ。

 

働くことへのハードルを下げておく

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おばあさんが寂しそうに過ごしている様子をみて、そんなに人と繋がりたいなら、私は率直に働けばいいのにと思った。
マクドナルドはかなりの高齢者でも雇っているし、近所のセブンイレブンでも、かなりのおばあちゃんがレジ打ちしているのをみたことがある。
公園で、清掃をしている高齢者もいるし、小学生の通学の旗持ちをしている高齢者もいる。今の高齢社会、元気で働いている老人はいるのだ。
だけど、そう思った後に気が付いた。働くことへのハードルが高いのだと。
何を隠そう、私自身すでに10年近く働いていない。
就職後、すぐに結婚して仕事を辞めたので、キャリアもなく、自分が働ける自信が一切ない。
31歳の私でさえ、こうだもの。
70歳くらいのおばあちゃんに、
「今時、そのお歳でも元気に働いている方いっぱいいますよ!」
なんて言っても、金銭的に困っていない限り、今更飛び込もうなんて微塵も思わないだろう。

私に必要なのは、働くことへのハードルを下げることだ。子育てが落ち着いたら、いろんなことを試してみて、「自分でも何でもできる」という自信をつけておくことが必要だと思った。

 

老後、一人で楽しむための資金を貯めておく

おばあさんを見て、せっかく時間があって健康なのになんだかもったいないなと思った。私だったら、語学を習いたい。
その辺で捕まえられる良く分からない人間に話しかけるのは無料で良いかもしれないが、私のように心の中でひどいことを思いながら話を聞いているかもしれない。

だったら、私は習い事の先生と生徒という関係で、週に1回誰かと話す時間がある方が、精神的にも時間的にも有意義だと思うのだ。
しかし、やはりお金の余裕は必須。老後、1人になったほうが少しでも楽しく暮らせるように、お金には余裕があった方が良いのだなと思った。

 

魅力的な人間になっておく

魅力的な人間というのは、努力しなくても自然と人が寄ってくる気がする。
私もおばあさん同様、女性が悪口や不満を言い合う現場が好きではないのだが、なぜそうなるのかというと、それ以外に話すことがないからなのだと思う。
私もそうだが、女性は結婚すると子供とか夫のこととかで一生懸命になる。
家族第一になる。
とても素晴らしいことだと思うけど、でもその結果自分の好きなこととか、大切なことが二の次になって、諦めていくうちに、自分に何も無くなってしまう。
気の合う旧友がいても、家庭を優先する結果、なかなか会えなくなってしまう。
その結果、なんだか近所のちょっとした知り合いと話すとなると、でも特に話すことが無いから、家族や身の回りの人やゴシップ、人間のしょうもない話になってしまうんじゃないかな?

そんな人生は嫌だ。
今子育てで精いっぱいで、家族は大事だけど、自分のことももっと大切にしようと思う。
からっぽの自分にならないために。
年をとっても好奇心旺盛な魅力的な自分でいれば、寄ってくる人も悪口大好き集団ではないかもしれないし、愚痴っぽい人間でいなければ、子供たちからもうっとおしいと思われる可能性を少しでも減らせるかもしれない。
寂しい時間が少しでも減るのではないかな。

 

 

もちろん、またおばあさんに会ったら私は面倒くさいと思うだろう。
そして、ひどいかもしれないが、私がおばあさんの話し相手になる親切な若者になる気もない。
そのおばあさんが魅力的な人だったら、私も少しは話す気になったかもしれないが、たぶん仲良くしたらめんどくさいタイプの自分の話を聞いてほしいだけの人だなって思ったからだ。
しょせん他人ってそんなものなのだと思う。

今から一人でも楽しく生きられる力をつけなきゃなと思った一日でした。